理想はフル・ライフ、現実は社畜・ライフ
こんにちは。佐々川です。
前回主に大学時代の話をしました。
このブログは僕の事をよく知っている友人も読んでくれていますが、反響が大きかったです。
今回はSE(システムエンジニア)として働き始めた会社での新人時代の話をしてみようと思います。
大学辞めてまで入ったIT企業での仕事ですが、苦難の連続でした。
化学の専門家がいきなり、コンピュータ、プログラミングの世界に入ったのですから当然です。
入社後3ヶ月間は研修という名の篩(ふるい)に分けがありました。
入社前は聞いていなかったのですが、ここで成績が悪いと会社から必要とされていない
人材とみなされ事実上のクビ勧告を受けてしまいます。
そんなの聞いてないよ~
泣き言を言っている暇はない。
こっちは全てを掛けて来てるんだ、こんなところで負けるわけにいかん。
必死にくらいつき、3ヶ月後。
同じ釜の飯は・・・食ってないけど共に戦った同期5名が非常にもクビ勧告を
受けてしまいましたが、僕はなんとか研修を突破しました。
不合格だった同期の件はしばらくの間しこりのようなものを僕の心に残しました。
それがこの会社のやり方とはいえ、一度採用したにも関わらず酷くないか・・
社会の厳しさを目の当たりにしました。
研修後は開発部門に配属され、毎日、SQL、JAVA、JavaScript、DB設計、
COBOLなどとの格闘です。
はじめはチンプンカンプンで何度も挫折を経験しました。
先輩も多忙なので教えてもらえるという雰囲気は一切なく、下手に聞くとどやされる事も度々。
しかし、仕事をこなさない事には認めてもらえないどころか下手をしたら
クビになってしまうので、優しそうな先輩を見つけ、その先輩の機嫌のいい時を
見計らって仕事を教えてもらったりしていました。
職人の世界では仕事を盗むというのを聞いたりしますが、似たような感じだと思います。
会社員としての道のりは大変でしたが無我夢中で耐え、なんとか3年間頑張り
一人前のSEに成長しました。
その頃になると、後輩も大勢出来て、社内の人間関係も良好でした。
同期と2泊の旅行を計画するなどして、それなりに楽しくしていました。
年齢の割には給料も多く頂き、生活自体は非常に安定していました。
仕事、家庭、人間関係全てうまくいっていて不満は、とりあえずありません。
とりあえずというのは、「不満がない」=「満足している」
というのではなく、よくよく自分を見つめ直してみると
不満を感じないように自分を誤魔化しているだけ?
なのではないだろうか。
この懸念は僕の価値観、生き方に確実に影響を与えるようになっていきました。
少し脱線しますが、
幼少の頃、親の都合、大人の都合に振り回されてきた経験をしてきた為か、
いつの間にか自由、自分の意思というものに対する憧れを持つようになりました。
自分の都合で物事を決定したい。
誰にも邪魔されずに自分の考えで生きたい。
思春期にはその憧れが次第に大きくなりました。
それは欲望のような気持ちに変化し、そしてやや暴走し、
全力で自由に生きてみたい、
という思いになっていました。
友人などと話してもこの気持はなかなか共有する事ができず、中学、高校時代の友人は
どちらかというと要領よく生きる事を考えているように思えました。
この頃の僕の気持ちを言葉で表現するのは難しいのですが、
要領よく生きる、のではなく、
不器用でもいいから、遠回りでもいいから
泥臭く、生きたい
全力で汗を流して生きたい
毎日生きている実感、充足感を得たい
生きている実感のようなものを感じたい
そう思っていました。
明日死ぬかもしれない、という事を毎日意識してその日その日を全力で生きる。
そんな世界観に強い憧れをもっていました。
この流れだとややベタですが、好きな歌手は当然の如く尾崎豊です。
僕の世代ではファンは少なかった、というより周りには1人もいなかった、のですが。
表現は思春期特有のものもありますが、軸、価値観は大旨今でも同じ気持ちです。
その気持は危険な一面もある為、六本木で働くようになってからは
「常識」、「要領良く生きる」、「諦め」、「世間でいうところの大人」、
というベールで覆い隠すようにして生きる術を身に着けてしまっていました。
最近、たまたま手にした書籍に、僕の素の感情にビシビシ響く一説がありました。
野田知佑さんのという方の「ユーコン川を筏で下る」という本です。
この方はカヌーイストとして日本だけでなく世界中の川をカヌーで旅する事を
ライフワークにされています。
※以下引用
アメリカ本土で安楽に過ごしてきた人間が、人生に物足りずにアラスカや
ユーコンにきて、本当の人生に目覚める。
そして生きがいのある人生について思考するのだ。
いろいろな猥雑なものがないシンプルライフを送っていると、ある日、
自分の生活がすっきりして、しごく単純なものに要約されていることに気づく。
本当に必要なものはごく少ない。
少しの肉と塩、自分の思考を保つに足る少しの良書、それで十分生きていけるのだ。
自分の贅肉がどんどん取れていく。
極寒の地で全力をあげて生きる痛快さ。
彼らはそれを“Full Life(フル・ライフ)”と呼ぶ。
衝撃を受けました。
僕が憧れていた世界はまさしくFull Lifeだったのだと気づきました。
もちろん、現実的には日本人である僕がアラスカに行って本物のFull Lifeを
体験する事は相当困難だと思います。
妻も既にいるし、妻の親も日本に住んでいる。
よほどの覚悟がないと不可能だと思います。
ただ、理想としてのFull Lifeを掲げ、その世界観に少しでも近づく努力なら
出来るのではないか。
諦めたらそれで終わりだけど、諦めなければ、一歩ずつでも前進を続ければいつかは・・・
現実に振り返ると、理想の世界とは程遠いいものでした。
SEという仕事は良く言われているように激務です。
入社前から覚悟はしてましたが、想定は軽く超え、少なくとも2倍は激務でした。
月160時間以上の時間外労働した事もあります。
最近問題になっている過労死ラインの2倍ですね。
「法律改正のせいでまた帳票のレイアウト変更だって」
「また徹夜で会社に泊まり込みか~」
「急な条例に対応する為、今日中にQ/Aを作成しサポートサイトにUPしないと」
「また休日出勤か~」
「○○さん、過労で倒れたらしいよ」
「みんなで手分けして代わりに仕事片付けないと」
「お客さんやらかしてデータをぶっ壊したぞ」
「また尻拭いをしないと・・・」
というような事が日常の光景。
実際に2度程、オフィスで同僚が倒れる姿を目撃しています。
人はいきなりバタッと倒れます。
そして何よりも驚いたのはこの光景に慣れている自分がいる事です。
これって、社畜なんじゃないか。
人生の大半を会社での仕事に費やし、上からの命令にただ従う。
しかし家族を養う為には働く必要があり、おかしいと思っていても何が出来るわけでもなく、
「こういうものだよ。仕方ないよ。」
という言葉でごまかし自分を守っていました。
いや、
でも、
だけど、
だけんども、
それってなんか、
おかしかないか?
悶々とした気持ちに一度真面目に向き合ってみよう。
心がおじさんになる前に。
僕がこのブログを始めようと思ったきっかけはまさにこの気持からです。
Full Lifeが理想のはずなのに、現実は社畜ライフを送っている。
似たような気持ちの人は自分以外にも必ずいる。
僕の思いや経験を話してみたい。
現状から目をそむける事なく、真剣に向き合い、そこから脱出したい。
1人ではなにも出来ないかもしれないけど、仲間がいれば。
このブログは同じ悩みを持っている仲間の拠り所にしたいと思っています。
情報を共有し、励まし合い、勉強・スキルアップし、本当の自分を取り戻す事が一番の目的です。
それも楽しく行う事が大前提。
真面目、必死な要素も大事ですがそれだけじゃ続きませんからね。
僕の視線で描かれた考えや世界を発信し、コミュニティーを形成し、それが全体として
一つの存在になれるような状態を目指していきたいと考えています。
その為の基礎勉強をするメルマガの講座も現在準備中ですし、悩みや相談など
あればどしどし欲しいです。
それでは、今日はこのへんで。